「わからない」が言える授業、とは?

わからないが言えることは、大切なこと。

そのためには、「わからない」をわかる必要があるからです。

今の時代、動画配信サイトの普及で、なんでも映像として見聞きすることができます。
映像での体験を、あたかも実体験のように思い込んでしまいがちです。

しかし、実際の体験と映像による擬似体験は、全く違ったものです。

擬似体験いよって、「わかったつもり」になってしまうことが、もっとも恐いと考えています。
「わかったつもり」になってしまうと、「わからない」が消えてしまいます。
つまり本当の理解には、「わからない自分」をまずは自覚することが最も大切になるのです。

「わからない」がわかること。

そこから、学びをスタートすべきなのです。

授業で説明をしていると、よく「知ってる」という発言を耳にします。
「知っているなら説明してください」というと、みんな口を黙ます。

「知っている」ことと、「見たことがある」ことは違います。
「見たことがある」ことを「知っている」と誤解することは、「わからないの自覚」と同じことだと思っています。

学びは知らないことがあるから始まります。
「わかっているつもり」や「知っているつもり」は、学びを阻害するとても危険が発想です。

「つもり」をなくすことができて、初めて本当の学びが始まると考えています。

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情報科な日々

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