家庭科の「大樹」が完成!

コロナ禍で、家庭科の内容は調理から、裁縫に大きく変更することを余儀なくされた。

そこで、図工科とも一緒に作った「大樹」。

「大樹」というだけあって、かなりの大作。

講堂の3階から垂らして、2階の床に楽々と届くほどの大きさ。

家庭科の先生と、ちょっと大過ぎた?と反省しつつも、作品の迫力に大満足。

「思う」と「想う」の違いは? 正しい使い方や意味を現役アナウンサーが解説! – 記事詳細|Infoseekニュース

青春時代に流行った音楽がふとしたタイミングで耳に入り、憧れの人に思いを伝えたドキドキがよみがえってくる……というよ
— 読み進める news.infoseek.co.jp/article/allabout_73795/

授業者の見識が問われることを痛感した。だからこそ、子供たち以上に学び続けないといけない。

他の人の授業を見ると、本当にそう思う。

教師の学びが深くないと、子供の学びは深まらない。

教師が主体的に学んでいないと、子供たちは主体的に学ばない。

教師が対話的に学ばないと、子供たちは対話的に学ばない。

教師という仕事は恐い仕事。

自分の生き写しが目の前に現れるのだから。

「教えない授業」を一気読み

中心療法研究所で肩と首の激痛が軽減。

やっと痛みに戻った。

そこで山本先生の「教えない授業」を一気読み。

自分の実践が裏付けられたようで、とてもありがたい。

教えない?

喋らない。

先生が喋っている時間を、子供の学びの時間にする。

問いかける。

これだね、自分の授業は!

問い続ける授業。

教えるのではなく、子供たちに問い続ける。

そのことで、子供たちの学びは、これまででは考えられないほど豊かになる。