
埼玉の実家に戻って、お墓の開眼供養式をしました。我が家のお墓は宮崎県日南市。関東からはかなり遠いので、父がお墓を建てました。
その開眼供養式が昨日ありました。きっと自分もこのお墓に入るのだろうと思いながら、ご先祖様とのつながりを、ここで作るのかと感慨深く参加しました。

埼玉の実家に戻って、お墓の開眼供養式をしました。我が家のお墓は宮崎県日南市。関東からはかなり遠いので、父がお墓を建てました。
その開眼供養式が昨日ありました。きっと自分もこのお墓に入るのだろうと思いながら、ご先祖様とのつながりを、ここで作るのかと感慨深く参加しました。
東日本大震災から継続してきた復興支援が、交流に変わって新たな試み。
5年生が味噌を仕込んでいるときに、来校された陸前高田市の中学生。
一緒に味噌の仕込みを体験したので、完成した味噌をメッセージ付きで送ることにしました。
味噌が出来上がり、梱包作業も終わって、今日、発想することができました。
訪問していただいた記憶が甦り、遠くの池袋に思いはせることができたなら、こんなに幸せなことはありません。ここからが交流の始まりになればと、これまでとは異なった期待を持っています。
今日は、5年生の家庭科できな粉作り。フライパンで煎った大豆を,ミキサーで砕く。
味付けなしのきな粉と、砂糖と塩を加えたきな粉との違いを、舌で感じてもらいました。匂いと舌の感覚でその違いを知ることも大切な学び。
5年生の工業の分野。自動車工場の見学がなかなか予約できない。それと1学年の人数が120名なので、一気に見学することも難しい。
そこでオンラインの工場見学。
凄い時代になりました。自動車工場に行かなくても、見学ができてしまう!
システム関係でサポートのため一緒に参加しながら、そんなことを考えていました。知識としての自動車工場は知ることができても、その空気を感じることができません。雰囲気はなんとなく感じられても、工場独特の匂いや雰囲気を直感的に感じることができたのだろうか?そんな疑問がわいてきてしまいました。
もちろん、オンラインでのメリットもたくさんあると思います。移動時間がかからないとか、人数の制限がないなど、メリットの方が多いとさえ思っています。
情報科として、デジタルメディアを扱うからこそ、それで良いのか?、という意識を常に持ち続けなければならないと思っています。生成AIが世に広まっている今だからこそ、人の感性ともっと伸ばすことも考えなければらないような気がしています。
昨日、イルミネーション点灯式がありました。まだ明るい時間だったので、イルミネーションは微かに見える程度。
暗くなると、こんな感じになりました。
イルミネーション点灯式がおこなわれると、校舎のなかはクリスマスの飾り付けがされます。もう周囲はクリスマス、という季節になりました。
先週の土曜日。11/18は学習発表会。その代休でも今日はお休み。昨日の勤労感謝の日と、土日を合わせると、なんと4連休。
4連休なので、ちょっと遠くに出かけて人と会うことにしました。興味ある学校で公開があったので、それに行けずにとても残念。
やっぱり予定は空けておかないと、みたい学校がなかなか見られない。とても残念というと、約束した人に失礼になるので、そういう言い方は失礼ですよね。
とりあえず、今日は軽井沢に移動して長野で人とあって学びを深めてきます。
2008年と2011年に提唱した「メディアセンター構想」とよばれる試案。「メディア」には、さまざまな意味があります。
一般的には、
情報の伝達や記録に用いられる物体や装置、およびこれを利用して人に情報を伝達・配布する仕組みや事業、組織などを指す。
一般の外来語としては、人が人に情報を伝えたり広く報じるのに用いるモノや仕組みを指し、広義には電話や手紙、書籍、テレビ、映画、電子メール、Webサイトなど様々な伝達手段が含まれる。
というものをあげることができます。
誤解を招かないことを願いつつ、大切にしたいのはメディアセンターの「メディア」の意味が、デジタルメディアやアナログメディアと同一ではないということです。「メディア」本来の「media(メディア)」は「medium(メディウム)」の複数形である点を重視しています。
「medium」は、中間にあるもの、間に取り入って媒介するもの、という意味だといわれています。この「中間にあるもの、間に取り入って媒介するもの」という意味を重視しています。既存のさまざまな教科の「間に取り入って媒介する」という意味で、その複数形の「media(メディア)」を使って、「メディアセンター」としました。
つまり、「メディアセンターを仲立ちにして、教科同士がつながる役割を果たす」ことを目的にしています。
教科横断的な学習の起点になる場所として、メディアセンターを位置づけるべきだと考えています。
教科という枠組みが強固な学校では、教科横断的な学びを生み出すことが、非常に難しいと思っています。それを確実に実行するためには、これまでにはない組織で推進していくべきだと考えています。そのために「メディアセンター構想」を提案しました。
これまでのような図書館を転換するようなメディアセンターとは一線を画しています。「置き換え」ではなく、これからの時代に相応しい学びを生み出す場として、メディアセンターを考えています。
以前は、「A」のないSTEM教育でしたが、今は、「A」の入ったSTEAM教育。
STEAM教育とは、
Science(科学)
Technology(技術)
Engineering(工学・ものづくり)
Art(芸術・リベラルアーツ)
Mathematics(数学)
の5つの単語の頭文字を組み合わせたものですよね。
科学は小学校なら理科かなあ。
技術は、家庭科でしょうか。
「工学・ものづくり」かあ。これは教科に当てはめるのは、ちょっと難しいかも。「工学」に着目すれば、理科との関係が深いような気もする。
「芸術・リベラルアーツ」と合わせて、図画工作科といえなくもない。もちろん音楽科の内容も含まれていると考えるべきでしょう。
数学は、数学で小学校だと算数でしょう。
STEAMを教科で捉えようという時点で、実は古い頭かもしれません。これまで「教科」という縦割りの学習が主流だったので、それに合わせるとこんな感じ、という見方です。
STEAM教育を実現するためには、既存の教科との対応を考えない方がよいと思っています。「教科」という枠組みが強固な学校にあっては、新しい「STEAM教育」という教科が生まれたという考え方の方が受け入れられやすいようにさえ思えてきます。
教科という分断された学びからの脱却。
これこそが「メディアセンター構想」の基本的な考え方です。
教科という枠組みで暮らしていない。教科というのは、学校の授業でいかに効率よく教えるかを考えた枠組み。
暮らしのなかにも、さまざまな学びがある。しかしその時に、これは何という教科の学びだなあ、なんて考えることはない。教科というのは学校の勉強の枠組み。教科の枠組みを強くすれば、それだけ学びは日常と乖離する。
だから教科とを基準にしない学びが、新しい学びを生み出す。教科横断的な学びというのは、学校を基準とした学びから、日常の学びにするための試み。
だから、テーマを重視した学びを生み出すために「メディアセンター構想」を立てたのは、2008年。2011年にブラッシュアップしたけど、そのまま放置されてしまった。
教科ではなくテーマで学ぶ。
テーマに合わせて教科を学ぶ。日常の暮らしの中では、そういう学びがいかされていくのではないだろうか。
情報科は、iPadを使った授業がメイン。そうなると、それだけで子どもたちの学びの意欲は高い。だからある意味で、注意が学びに向いている。
楽しいを伝えることが一番、大切。
そのためになにをどのうようにしたら良いかを考え続けている。強制された学びは、身にならない。楽しいと思えば、自然に学び始めると思うんだよなあ。
学ばないのは、楽しくないから。楽しくないことは、誰だってしたくない。でも学校では、楽しかろうが楽しくなかろうが、学ぶことが求められる。それって本当に正しいのでしょうか。楽しいのない学びをいくら積み重ねても、学びからの逃走が生まれるだけじゃないのでしょうか。