学びが止まらない!

子供たちが、iPadを使うと、学びが止まらない。

iPadを手放したくない?

だからこそ、ルールを守るという大切なことが伝えられる。

止まらない学び。

それをiPadが生み出しているのであれば、むしろ利用すべきではないのだろうか?

ラグビー日本代表の勝利には、勇気をもらうことができる。

歴史的勝利から一夜、W杯公式ショップにファン続々 – 一般スポーツ,テニス,バスケット,ラグビー,アメフット,格闘技,陸上:朝日新聞デジタル

ラグビー・ワールドカップ(W杯)で日本代表が強豪のアイルランドに歴史的な勝利を挙げてから一夜明けた29日、東京・新宿にある公式ショップ「メガストア」では、各国のファンたちが日本代表のグッズを買い求め…
— 読み進める www.asahi.com/sp/articles/ASM9Y3QFXM9YUTIL008.html

土砂降りっていうのはこういうことかと思った。

昨日の帰り。

学校の近くは、どんよりと曇り。

雨は、時折、パラパラと。

自宅近くは、土砂降り!

バケツをひっくり返したような雨っていうのはこういうことか、というような雨。

今日も不安定?

ゲリラ豪雨に注意が必要?

2学期からGBLという発想で学びを始めようと思う。

GBLという発想が、小学校段階では良いのではないかと思ってきた。

Graphics

Based

Learning

グラフィックスを基本として、授業を作っていこうかと思っている。

テキストよりも、グラフィックスという発想を大切にしたら、どう変わるかに挑戦してみたいと思っている。

#GBL

性善説か?それとも性悪説か?

僕は絶対に、性善説。

人は生まれながらの悪なんて、ありえないと思う。

だから、性悪説ではなく、性善説。

原因無くして、悪は生まれない。

他者から見た悪だって、当人には善として行動していると信じている。

社会悪を生み出すには、必ず理由がある。

その理由を根気強く解決しない限り、根本的な解決はありえないと考えている。

「プレゼンが大の苦手」「ストレスでしかない」という人が苦手を克服するために押さえるべきポイントとは? – GIGAZINE

プレゼンテーションが大の苦手で、過去二度のプレゼンテーションで盛大な失敗をやらかしたという博士研究員のMathilde Hisさんは、試行錯誤を繰り返すことで苦手を克服することができました。人前で話すことが苦手な人に向けて、Hisさんは、プレゼンテーションを成功させるためのポイントをまとめています。
— 読み進める gigazine.net/news/20190826-stand-out-as-a-speaker/

聖公会関係学校教職員研修会で改めて感じたこと

8/21から8/23まで箱根で研修会。

第62回聖公会関係学校教職員研修会に参加。

小学校に奉職して、たぶん初めて参加した聖公会関係学校教職員研修会。

ICT関係の分科会があるということで、当番校の香蘭女学院のお話を伺いたく参加させていただきました。

そこで改めて感じたこと。

ICT関係の教員養成が遅れているということ。

教科ではないから、それを専門にする教員養成が後手に回ることは仕方がない。

教科でないということは、教科と教科を結びつける役割を担っていると考えることができる。

新しい学習指導要領で唱えられるている教科横断的な学びは、まさにICT機器を活用するなかで生み出すことができるとも考えることができる。

小学校でも英語が教科になる。

そのことばかりに目がいって、大学の教員養成課程の公募も、英語科を専門とするものばかり。

これじゃあ世界から取り残された学校でのICT機器活用は、取り残されたままになってしまう。

現状の最大の問題点は、iPadを学校に導入し、その運用を進め、授業を作り、活用を進めている人が教員養成とは関わりが薄いこと。

実際に導入から運用、さらに活用して教員の関わりが薄いこと。

経験や体験の積み重ねは、頭で考える以上に尊い。

それがあるからこそ、本当の意味で考えることができるとさえ思っている。

当事者としての関わりが、先生方、新しい時代の教員に伝えることこそが、今後の「学校の情報化」には不可欠であると考えている。

自分に都合が悪いときこそ、言葉の意味を深く考える必要がある。

これも整体で、身体を壊されて学んだこと。

治してくれないから、絶縁。

それを都合よくとらえて、謝罪も止めてしまう。

本当は、そんな時こそ謝罪を続ける方法を探るべき。

文句を言われ続けるなら、絶縁してもらった方が楽、なんて考えているようでは、謝っていることにはならない。

都合の悪いときこそ、本当の意味を考えないといけない。

そうしないと、本当の意味での信用を得ることはできない。

もう絶縁したのだから、相手がどうなろうと知らない。

多分、消え去る運命の人々なのだと思う。

誠意ある対応がまったくされないので、もう関係を絶つしかないと思った。

ままともプラザの整骨院で作られた痛み。

その認識はお互いが共有している。

自分たちで新たなそして劇的な痛みを作り出しておいて、真っ当な謝罪もできない。

こちらは真っ当に謝ってもらったなんて、微塵も感じられない。

ある意味での医療ミス。

整骨院が医療機関じゃないというなら、完全な施術ミス。

それに対して、きちんと謝罪すらしない。

驚いたのは、痛みを抑えたいなら整形外科に行って痛み止めをもらえと言われたこと。

お金はこちらで支払う、と言いながら、一度も整形外科に行ったかどうかを聞いてこない。

黙っていれば支払わなくてもよいから声かけをしない?

こちらから言うのを待っていた?

どちらも真っ当に謝罪の意をもって対応したとは思えない。

一週間ほど仕事で通えない。

携帯電話の番号も聞いているのに、様子伺いの電話も来ない。

何のために携帯電話の番号を書いて出しているのか?

謝り方も知らない人たちを、どうやって信用しろというのだろうか?

ミスを犯したには、整骨院の人。

整骨院は親会社がある。

親会社の偉い人が責任をもって謝罪するなり、別のところから優秀な人を連れてきて施術するなりの対応だってできたはず。

それもしない。

最後の責任は、そこに整骨院を作って、そこで働く人を雇った会社の責任。

少なくとも痛みも消せない輩を医院長にして開業したのは、開業させた会社の責任。

間違って痛みを増幅させたんだから、それを治せない以上、謝るべきが謝るのが筋というもの。

謝ろうという気持ちがないんだよね、結局。

自分たちは精一杯できることをしているんだから間違っていない。

こんなわけのわからない理屈で、こちらは3週間近くも痛みに苦しみ続ける羽目に。

そこを選んだこちらが悪い、とでも言いたいのだろうか?

確かに整骨院を選んだのは、こちらに責任がある。

しかし、まさか痛みをとって欲しくて通ったのに、痛みが増すなんて、誰も考えない。

誠意がない。

きちんと誤らない。

もう何を言っても、無駄だと判断した。

だから、これまでに払ったお金をすべて返してもらって、絶縁することにした。

心がないところに、身体を預けることなどできない。

まったく痛みが軽減されない場所に、もうこれ以上通う意味がわからなくなった。

だから、もう絶縁。

心中は穏やかならず。