GBLという発想が、小学校段階では良いのではないかと思ってきた。
Graphics
Based
Learning
グラフィックスを基本として、授業を作っていこうかと思っている。
テキストよりも、グラフィックスという発想を大切にしたら、どう変わるかに挑戦してみたいと思っている。
#GBL
GBLという発想が、小学校段階では良いのではないかと思ってきた。
Graphics
Based
Learning
グラフィックスを基本として、授業を作っていこうかと思っている。
テキストよりも、グラフィックスという発想を大切にしたら、どう変わるかに挑戦してみたいと思っている。
#GBL
僕は絶対に、性善説。
人は生まれながらの悪なんて、ありえないと思う。
だから、性悪説ではなく、性善説。
原因無くして、悪は生まれない。
他者から見た悪だって、当人には善として行動していると信じている。
社会悪を生み出すには、必ず理由がある。
その理由を根気強く解決しない限り、根本的な解決はありえないと考えている。
文部科学省・総務省・経済産業省が連携して立ち上げた未来の学びコンソーシアムが、2020からのプログラミング教育必修化にむけて、 教育課程内外における取り組みや教材など、必要な情報を共有するポータルサイト。
— 読み進める miraino-manabi.jp/content/404
プレゼンテーションが大の苦手で、過去二度のプレゼンテーションで盛大な失敗をやらかしたという博士研究員のMathilde Hisさんは、試行錯誤を繰り返すことで苦手を克服することができました。人前で話すことが苦手な人に向けて、Hisさんは、プレゼンテーションを成功させるためのポイントをまとめています。
— 読み進める gigazine.net/news/20190826-stand-out-as-a-speaker/
8/21から8/23まで箱根で研修会。
第62回聖公会関係学校教職員研修会に参加。
小学校に奉職して、たぶん初めて参加した聖公会関係学校教職員研修会。
ICT関係の分科会があるということで、当番校の香蘭女学院のお話を伺いたく参加させていただきました。
そこで改めて感じたこと。
ICT関係の教員養成が遅れているということ。
教科ではないから、それを専門にする教員養成が後手に回ることは仕方がない。
教科でないということは、教科と教科を結びつける役割を担っていると考えることができる。
新しい学習指導要領で唱えられるている教科横断的な学びは、まさにICT機器を活用するなかで生み出すことができるとも考えることができる。
小学校でも英語が教科になる。
そのことばかりに目がいって、大学の教員養成課程の公募も、英語科を専門とするものばかり。
これじゃあ世界から取り残された学校でのICT機器活用は、取り残されたままになってしまう。
現状の最大の問題点は、iPadを学校に導入し、その運用を進め、授業を作り、活用を進めている人が教員養成とは関わりが薄いこと。
実際に導入から運用、さらに活用して教員の関わりが薄いこと。
経験や体験の積み重ねは、頭で考える以上に尊い。
それがあるからこそ、本当の意味で考えることができるとさえ思っている。
当事者としての関わりが、先生方、新しい時代の教員に伝えることこそが、今後の「学校の情報化」には不可欠であると考えている。
「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策(最終まとめ)」を読む 6月25、文部科学省から「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策(最終まとめ)」という報告書が発表されました。そ […]
— 読み進める ict-enews.net/zoomin/19society5-0/
元を正せば、こいつらのせい。
もう1ヶ月近くも痛みを抱え、結局、元には戻らない。
無責任の極み?
一人ぐらいの失敗は、どうでも良いということなのでしょうか?
すごい治療院ですこと。
これも整体で、身体を壊されて学んだこと。
治してくれないから、絶縁。
それを都合よくとらえて、謝罪も止めてしまう。
本当は、そんな時こそ謝罪を続ける方法を探るべき。
文句を言われ続けるなら、絶縁してもらった方が楽、なんて考えているようでは、謝っていることにはならない。
都合の悪いときこそ、本当の意味を考えないといけない。
そうしないと、本当の意味での信用を得ることはできない。
もう絶縁したのだから、相手がどうなろうと知らない。
多分、消え去る運命の人々なのだと思う。
「あおば式施術メソッド」というのは、人の身体を壊すこと?
肩と首を、いわゆる肉離れにされた。
もちろん、激痛が続いた。
治してくれないから、もういかない。
謝ってもくれないから、もういかない。
夏休みが激痛で、半分以上なくなってしまった。
この責任は、どうとってくれるのだろう!