Springin’ Classroomで言語活動の充実

これですねえ、やっぱり。

これまでは、テキスト中心のまとめが当たり前。ほんのちょっとPC環境が整ったら、PowerPointで画像を入れたり。でも、最後はテキストと画像による新聞でまとめたり。

こういうまとめが「ふつう」。1人1台のiPad。コロナ禍やGIGAスクールで環境は整った(?)。でも、学びのまとめはこれまでと同じ。テキストと静止画中心の新聞作り。これじゃあ、ある意味、進んでいない。アウトプットはこれまでと同じ。

コトバとして考えてきたことを、Springin’ Classroomでプログラミング。イメージしたコトバをSpringin’ Classroomでアウトプット。アウトプットの形を、イメージですることは、言語活動の充実と密接に関わってくる。だからSpringin’ Classroomによるアウトプットは、これまでとは大きく異なった学びを生み出すことになる。

5年生で、特別な調理実習

田植えのために、5年生だけ学校に居残りの遠足の日。

給食だったけど、調理実習でカレーを作りました。

白玉も入ったフルーツポンチも一緒に。

午後は有志による白玉ダンゴのおやつ。

一日中、調理実習の一日。

無事に終わって安堵しました。

家庭科の「大樹」が完成!

コロナ禍で、家庭科の内容は調理から、裁縫に大きく変更することを余儀なくされた。

そこで、図工科とも一緒に作った「大樹」。

「大樹」というだけあって、かなりの大作。

講堂の3階から垂らして、2階の床に楽々と届くほどの大きさ。

家庭科の先生と、ちょっと大過ぎた?と反省しつつも、作品の迫力に大満足。

授業者の見識が問われることを痛感した。だからこそ、子供たち以上に学び続けないといけない。

他の人の授業を見ると、本当にそう思う。

教師の学びが深くないと、子供の学びは深まらない。

教師が主体的に学んでいないと、子供たちは主体的に学ばない。

教師が対話的に学ばないと、子供たちは対話的に学ばない。

教師という仕事は恐い仕事。

自分の生き写しが目の前に現れるのだから。

「教えない授業」を一気読み

中心療法研究所で肩と首の激痛が軽減。

やっと痛みに戻った。

そこで山本先生の「教えない授業」を一気読み。

自分の実践が裏付けられたようで、とてもありがたい。

教えない?

喋らない。

先生が喋っている時間を、子供の学びの時間にする。

問いかける。

これだね、自分の授業は!

問い続ける授業。

教えるのではなく、子供たちに問い続ける。

そのことで、子供たちの学びは、これまででは考えられないほど豊かになる。

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