義務と権利のお話

権利の意味をWikipediaで調べてみると、次のようになる。

権利とは、一般に、ある行為をなし、あるいはしないことのできる資格。法律上は、一定の利益を主張または享受することを法により認められた地位、あるいは、他人に対し一定の行為・不作為を求めることができる地位をいう。日本において権利は権限を含む。対義語は義務。
各個人が有する権利とは、通常は社会などの制度との関係において、それが保障されるか否かが問われるものであることから、法治主義のもとにおいては、権利は法に基づき各個人に付与される特権として理解される。権利の一つの区分けとして人権と呼ばれるものがあり、基本的人権などの用法においては、社会や国家などの制度に先行して存在するものとして理解されることがある。

義務の意味を同じくWikipediaで調べてみると、次のようになる。

義務とは、従うべきとされることを意味する。義務の根拠としては、理性、道徳・倫理、宗教、法制度(法令・契約など)、慣習などが挙げられる。義務に反した場合には、制裁があるとされる。制裁には、内面的・物理的・社会的なものがある。
義務の根拠に応じて、 義務の性質は異なる。
 宗教的義務
 道徳的・倫理的義務
 社会的義務
 法的義務

このなかでも、「社会的義務」は大切なもの。
社会的義務とは、個人が属する社会に応じて従うべきとされることを意味する。しばしば、社会的責任と称される。社会的義務は、個人が属する身分・地位・職業・地域・組織などに応じた、継続的・非継続的な社会関係に応じて認められうる。

社会的義務は、社会に属するために果たさなければならないものであると考えることができる。
社会に属するために守らなければならないこと。
裏返せば、社会的義務を果たさないならばその社会に属することができないことを意味している。
社会的義務を果たさないことは、その社会に属することを拒否している意思表示と受け取ることもできる。
もちろん、義務を果たさないならば、その社会で権利を主張することなどあってはならない。

誰しもが、権利を持っている。
権利を主張して、義務を果たさないことは、権利を放棄したことを意味するのだと考えている。

義務を果たすことで、権利を主張することが保障される。
したがって、義務を果たすことで権利が守られるということになるのだと思う。

なぜ義務を果たすのか?

権利を守るためである。
権利が守られるために、義務を果たすのだ。

義務を果たさないならば、その社会に属することを放棄したことと同じではないだろうか?

ならば、その社会から去るべきではないだろうか?

権利のみを主張し、義務を果たさないのは身勝手。
義務を果たすことなく、権利を主張するならば、それは横暴。

権利を主張するならば、義務を果たさなければならない。
義務を果たすことで、その社会や組織で権利を主張することができるようになる。

義務を果たすことで、権利が守られる。

どの社会に属するか?
どの組織に属するか?

それを決めることも権利。
そして、権利を行使してある社会や組織に属したならば、義務を果たすことが求められる。
権利を主張するならば、義務を果たす必要がある。
義務を果たすならば、権利が守られる。

義務を果たすことを拒否することもできる。
それも各個人がもつ権利。
その意味での権利を行使するならば、その社会や組織に属することはできない。
義務を果たすことなく権利を主張するならば、その場を立ち去らなければならない。

義務に従うことができないならば、それを変えていくことも権利。
義務を変えていくという権利も持っている。
義務を変えていくという権利を行使せず、義務を拒否し続けるならば、その場から立ち去らなければならない。

僕は、そう考えている。

投稿者:

情報科な日々

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