人は常に、過去を振り返り、今を考える。
今日の夕飯、なんにしよう。
昨日はお肉。
牛肉を炒めたもの。
味付けは、和風。
昨日はお肉だったよな〜。
一昨日は、えっと、何だったかな〜。
そうだった、そうだった。
鮭を焼いたのがメインだった。
魚。
肉。
この順番かぁ。
じゃあ、今日は魚の順番?
魚ならなににする?
ブリの照り焼き。
ブリ大根。
これだこれ!
今日はブリでいこう。
人は常に、過去を振り返り、今を考える。
今日の夕飯、なんにしよう。
昨日はお肉。
牛肉を炒めたもの。
味付けは、和風。
昨日はお肉だったよな〜。
一昨日は、えっと、何だったかな〜。
そうだった、そうだった。
鮭を焼いたのがメインだった。
魚。
肉。
この順番かぁ。
じゃあ、今日は魚の順番?
魚ならなににする?
ブリの照り焼き。
ブリ大根。
これだこれ!
今日はブリでいこう。
歴史を考える力。
これだって想像力。
イメージする力、イメージ力。
洞察力ともいうべきかな〜。
時間を遡ることはできない。
現在の科学の力を持ってしても、タイムマシンは作れないのだから。
作れないから、作っちゃう。
作り方は簡単。
眼を瞑り、自分で過去に遡る。
物理的にはできないことでも、理念的には可能。
想像することは、いくらでもできるのだから。
日本の原子力発電所は、すべてが停止。
今日は、原子力発電が止まった歴史的な日。
東日本大震災での福島第一原子力発電所の事故。
1年以上過ぎたのに、先が見えない。
そんな中での原発停止。
再稼働?
このまま廃炉?
原子力発電所が再稼働しなければ、電力不足は確実。
昨年の震災直後のような不便な日々。
昨夏のような節電の日々。
去年より、さらに不便が多くなる。
再稼働?
それとも原子力発電を放棄する?
もはや伝説の名著になりつつあるE・H・カーの『歴史とは何か』。
その著名な言葉。
歴史とは、過去と現在の対話
これがいまでも、まことしやかに唱えられる。
岩波新書の初版が1962年。
いまから50年前。
そこから、変わらない魅力を持った言葉。
歴史を改めて考えてみる。
想像力を膨らませてみる。
確かに、「過去と現在の対話」ではあっても、そこに留まっていては、新しい歴史学は生まれない。
「現在」は、通過点として偶然としての、我々の立ち位置に過ぎない。
「過去と現在」を結ぶものであるだけならば、学ぶ意義は半減してしまう。
アイスマンは、1991年9月にアルプスにあるイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷の氷河で見つかった約5300年前の男性のミイラの愛称。
アルプス山脈の高い尾根に沿って登山をしていた夫婦が,解けた氷の中から姿を現した死体を発見。
この地域では氷河に縦横に刻まれたクレバスに落ちて毎年遭難者が出るため,当局はそうした行方不明の登山者の遺体だと思い込んでいた。
(氷河から甦ったアイスマンの真実)
遺体は、オーストリアのインスブルックに運び込まれた。
インスブルック大学の考古学者シュピンドラーは,その遺体が有史以前のものであることを確認した。
このことで分かるように、発見当初は、現代の遭難者と思われるほどの保存状態。
実際には、5300年も前の男性の遺体。
遺伝子解析が進んで、さまざまなことが明らかになってきた。
その中でも特徴的なのが、牛乳嫌い。
なんで牛乳が嫌いだということがわかるの?
好みまで分かってしまうのだから、現代の科学の力というのは恐ろしい。
好き嫌いもできません。
情報科な日々からのスピンオフ。
情報科な日々から、歴史の学びを切り取ってしまおうという作戦。
「作戦」というのは、大袈裟か?
こちらは「歴史学が本業」を自負する身。
本来、もっと早く歴史部分をスピンオフしなければならなかっただろう。
諸般の事情で、ここまで来てしまった。
もう一度、歴史について考えてみようという思った。
細々とじゃあ堪えられなくなってきた。
もっと大胆に暮らしの中に歴史学を取り戻そうと考えた。
考えた末にスピンオフ。
歴史の学びはタイムマシンに乗ってテスト投稿