大豆の系統図の続き:5年生家庭科の1学期の5回目

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2017年5月18日、5年生家庭科の1学期の5回目。

大豆の系統図の続きを進める。
それと、クラスルームアプリへの登録。
今回の課題は、この2つ。

クラスルームアプリは、「Ver2.0」からMDMが必須でなくなった。
教師用のiPadに依存する「管理対象外クラス」が作成できるようになった。
これが思った以上に、便利。

年次更新も、自分でできる。
登録も自分でできる。
自分のiPadさえあれば、登録できるのが実に楽ちん。

ネックは、作成したクラスが共有できないこと。
授業を担当する先生が、必要に応じて自分でクラスを作成する必要がある。
作成したクラスは、教師用のiPadに依存するから、iPadが変わったらダメ。
ネックはそれくらいかなあ。

子供端末から、「拒否」ができる。
授業なんだから「拒否」なんて有り得ない。
「常に」監視状態に対応する設定にしてもらう。

クラスルームのおかげで、子供たちの作業が手元でわかるようになった。
管理や監視する、というよりも、作業の進捗を確認することの意味の方が大きい。

まったく手つかず。

それはできないから?
やろうとしていないから?
やらないから?

いろいろな場合が考えられるが、「できない」が見つけられるようになった意味は非常に大きい。

また作業の進め方も、手元でわかるのは有り難い。
40人分を一気に見ていると、ある傾向に気が付く。

大豆の系統図に貼り付ける画像の食材を調べて、どのようなものかを調べる場合。
「大豆の系統図」と検索して、「系統図」の答えをインターネット上で確認しようとする場合。

この2つかなあ。
当然、前者が正しい進め方。
校舎は、ある意味で「頭の良い」進め方。
要領が良いと言うべきかな?

確かに要領良くこなしていくには、後者の方が正しいかもしれない。
しかし、それでは「学び」は深まらない。
学びが深まらない調べ方をして、どんな意味があるというのだろう。

早く完成させること。


その意味しかないような気がしてしまう。
つまり、いつものように早く終わることの至上主義。

早いことがすべてに優先される。
早く終わらせることが、何よりも優先される。

早く終わることは、悪いことじゃない。
しかし、早く終わることは、一番重要なことではない。

インターネットの時代は、わかったつもりが蔓延る。
わかっていないのに、正解が出てしまう。
なんとなく、わかったつもりになって終わりにできてしまう。

これって危険なことじゃないか?