3年生はGoogleドライブのログインのやり直し:3年生情報科の2学期の8回目

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2016年12月8日、3年生情報科の2学期の8回目。

3年生はGoogleドライブのログインのやり直し。
出来た子どもは、自分たちで先に進む。
出来なかった子どもだけ集めて、説明開始。

タイピングでもログインできない。
コピー&ペーストでもログインできない。

タップがいい加減だから、いい加減な操作しかできない。
こちらの言った操作ができない。
操作ができないから、適当にタップして、せっかくQRコードで読み込んだデータを壊してしまう。
壊したままのデータを貼り付けるから、当然、ログインできない。

なぜ一斉授業が出来ないのだろう。
教室では、さんざんやっているはずなのに・・・。

一斉授業のできない理由を考えながら、再チャレンジ。
さて、なぜ出来ないか?
これを発見するのが、今回の授業のこちらとしての最大の目的。

根本的な問題は、説明を聞いていない。

なんとなく耳にしたコトバを、なんとなく作業として進めてしまう。
当然、間違える。

耳にしたコトバを自分で、自分のiPad miniで進める。

そういう自覚的な学習者が求められる。
聞いて実行する。
聞いたことを、100%実行しようと考えて作業をする。
こういう心構えが出来ていない。


次は、隣と確認しないと出来ない。
確認している隣が間違っていたら、一緒に間違える。
なんのために前に提示しながらやっているか?
自分でやろうとしていない証拠。
友達に相談すればなんとかなるという安易な発想。

自分がやる。

そういう意識の欠如。
だから、隣と共倒れ。
共倒れが多くなると、ログインできない人数が増える。

相談することと、自分でやること。

この区別があやふやになっているから、自分でやろうという意識が低い。

なんとなくが通じない世界。
それがデジタルの世界。
ひとつ、ひとつを正確無比に進めなければ出来ない世界。

アナログの世界は、なんとなくが通じる。
なんとなく通りすぎてきてしまった子どもにとっては、確実、正確無比なんて想像もおよばない世界。

だからiPad miniの操作もなんとなく。
なんとなくやって、なんとなく出来るから、なんとなく進んでいる。
そこに正確さを求めると、一気に破綻する。


出来ないことを責めるつもりはない。
謙虚さをもって欲しいと思うだけ。
どうして言われたことすらできないのに、間違いを指摘すると「あ〜そういうことね」なんてコトバが出てくるのでしょう。
出来ないことをそうやって、誤魔化そうとするのでしょう。

自分で自分の出来ないを誤魔化しているから、いつまで経っても出来るようにはならない。

まずは、出来ない自分を自覚すること。
自覚して、出来ない自分から、出来る自分になるために努力すること。
出来るようになるためには何をすべきかを、工夫すること。

自分でやるんです。
出来ないと言えば、やってもらえると思ったら大きな間違いです。
自分でやるのです、自分で。

なぜこれまで学んだことを、ログインの作業に活かそうとしないのだろう。
コピー&ペーストの応用なのに・・・。

自分でやらないといけない。
そういう意識が欠如していると、出来ないと言えば、やってもらえると誤解してしまう。
間違えて「出来ません」と言って、待っていればやってもらえると思い込んでいる。
だから、自分で進もうとしない。
自分で進むなんて考えもおよばない。

情報科が目指すのは、自律した学習者。
自分で出来ることを増やしていくこと。
最後に信じられるのは自分、とまでは言わないけれど、自分の信じることの出来る子ども。

自分を信じることができないのに、他人を信じることなんかできるはずがない。
そんなの偽善。
まずは自分を信じること。
自分でやろうと思うこと。

できない、んじゃあないんだよ。
自分でやろうとしていないんだよ。

やっぱりと思うことで本日は終了。