4年生は「食」と都道府県を進める:4年生家庭科の2学期の7回目

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2016年10月21日、4年生家庭科の2学期の7回目。

「食」と都道府県を進める。
iTunes Uのコースで、自分で進めることも大きな課題のひとつ。

教えられるからの脱却。

教えられるから覚える、という発想を捨てましょう。
学ぶのは、子どもたち。
子どもたち自身が、それぞれ自分なりの方法で学びを深めていく。
これが理想形。

これがなかなか・・・。
自分たちが教えられる存在であることを、強く意識させられている日常。
その日常から抜け出すのは、至難の業。
しかし、それではいつまで経っても、自律した学習者は育たない。

自律した学習者を育てない限り、深い学びは生まれない。
他力本願な学びを進めていて、これまでと何も変わらない。

Keynoteでのまとめ。
Keynoteの使い方は、別のマニュアルを作成している。
それを見れば、大概のことはわかるはず。
しかし、わからないことをそこから見つけ出すことができない。

すぐに質問してしまう。
質問するだけまだまし。

わからないからやらない。
これが一番多い。

わからないのは、教えてもらっていないから。
そういう逃亡を図る。
教えていないのではなく、学んでいないだけ。

自ら学ぶ。
自律した学びを目指す。
これはまだまだ遠い世界のような気がしてくる。


今回は、作業のまえにMDMへの再登録の作業を進める。
なぜか登録したはずのVPPの管理から、半数以上の端末がこぼれ落ちてしまっていた。
こちらからVPP登録をブッシュする。
ブッシュが届いたら、パスワードを入力して登録完了。

パスワード入力をしながら、iPad miniの状態を確認する。
3年生の4月に配付した段階では、みんなが同じ設定。
4年生の10月。
なぜか設定がさまざまに変更されている。

設定を変更しないのは、基本ルール。
3年生の時に、保護者と一緒にルールを確認したはず。
しかし、設定はあれやこれやと変更されている。

わかったつもりで、変更しちゃうんだよねえ。

なぜ設定を変更してはいけないのか?
個人のiPad miniだから設定を変更したって良いはず!
しかしルールには、設定変更が禁止されている。

答えは簡単。
授業で均一な環境で使うため。
均一な環境にしておくのは、こちらが楽をするためではない。
子どもたち、授業を受ける側にとって利便性が高いから。

設定環境が異なれば、説明を聞いても理解できないことが出てくる。
勝手にアイコンをフォルダに入れる。
フォルダに入れることで、ホーム画面上には指定したアイコンが存在しなくなる。
それを応用して説明が聞けるようになっていれば問題ない。

そういう変更を行った人に限って、「先生、僕にはそのアイコンがありません」となる。
自分でホーム画面を変更しておいて、できない責任をこちらに押しつける。
あたかも、こちらが悪いかのように・・・。

子どもたちがやりたがるのは、背景の画像の変更。
これだってアイコンが同化して、指示したものが見つからなくなる。

キーボードの分割なんてのもやりたがる。
どこに必要なキーがあるかを説明すると、分割していること指示が通らない。
キーボードを分割しても、説明を聞いてきちんと反応できるなら、変更しても良い。
反応できないと、質問にきて授業を止めてしまう。

質問で授業を止めるのは、一向にかまわない。
質問するのは、悪いことじゃない。
しかし、自分で設定を変更したが故に、わからないことが出てきて授業を止めるのは、認められない。

授業を止めることで、止めた本人以外の時間を奪うことになるから。

責任をもって設定を変更するなら、悪くない。
無責任に設定変更をすれば、必ず、説明が通らなくなるから禁止にしてある。

管理上の関係で、Apple IDのパスワードも変更禁止。
Apple IDに関する変更は禁止してあるから、そのパスワードも設定の変更は禁止。
それを変更するならしてもよい。
だって自分のiPad miniなんだから。

その代わり、こちらで管理することはできない。
みんなと同じアプリが配信されなくても、文句を言わないで欲しい。
管理から逸脱したのだから、その部分を自分で担う覚悟が必要。
一時の気の迷いで変更するのは、危険が多いと思う。
そういう自覚すらなしに、変更するからたちが悪い。

自分でなんでもやってくれるなら、どうぞやってください。
その代わり、今後はあらゆることを、自分でやらないといけない。
その自信がなるなら、設定をどんどん変更すれば良い。

これって危険でしょ?
ルールを守るから、自分も守られる。
ルールを守らないなら、自分も守られない。
守ってもらえないなら、自分で守るしかない。

自分の都合で守って欲しいときと、守って欲しくない時を切り替えるのは、あまりにも身勝手。
そのような身勝手を、ほんの少しでも許せば、秩序は維持できない。

授業にとって、必要なのは規律と秩序。
学校生活においても同じ。
社会生活においても同じ。

それを守るためには、ルールが必要。
ルールを守ることに厳格にならないなら、そんなルールはいらない。
ルールがある以上、それを厳格に守る姿勢を身につけなければならない。