グループで進める情報モラル:3年生情報科の3学期の5回目

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2016年3月3日、3年生情報科の3学期の5回目。

グループで進める情報モラル。

前回から、分担をきめて進めることに。
一番、大切にしたいのは「決める」ということ。

グループで自分の果たす役割を決める。
それを話で決めていく。

情報モラルを学び、身につけることは、当然、大切。
iPad miniの使い方を、正しく身につけることも、大切。

それ以上に大切なのは、コミュニケーション。
コミュニケーションを円滑に進める術を身につけること。

情報モラルだって、同じでしょ?

デジタルデバイスを使っているか、いないかの違いでしょ?

相手を思いやる気持ちを持って、コミュニケーションをもつ。
このことは、いつの時代も、どこの世界でも、どんな方法でも同じだと考えている。

確かに、これまでのコミュニケーションと、デジタルデバイスを活用したコミュニケーションを異質だということもできる。
デジタルデバイスを通じたコミュニケーションは、便利。
利便性は、何よりも優れていると言い切っても良いとさえ思える。

しかし、だからといって、本質はなんら代わっていない、ということにも注意する必要がある。

現実の世界。
デジタルデバイスに対峙するアナログの世界。

そこにも、悪い人はいる。
別に、ネット社会だから悪い人がいるわけじゃない。

現実の世界でも、コミュニケーションは必要になる。
なにもネットを通じないとコミュニケーションができないわけじゃない。

基礎・基本は、アナログ的なコミュニケーション。
それが未熟ななかで、デジタルデバイスを通じたコミュニケーションを始めるから、さまざまな問題が起こっている。

デジタルの世界が悪いわけじゃない。

現実には「見えない社会」。
「見える社会」のコミュニケーションを学んでいる子どもたちが、「見えない世界」のコミュニケーションが日常化してしまった。

「見える社会」のコミュニケーションですら未熟な子どもたちが、「見せない世界」を経由したコミュニケーションを初めてしまう。
始めるだけではなく、それがもう既に日常化してしまっている。

見えないからなにをしても良いということじゃあ、ないでしょ?
見えないからこそ、きちんと礼儀を尽くさないといけないんじゃないの?

現実の世界では、見えるから許される。
見えるから、縦の関係が成り立ってくる。

しかし、見えない世界は、縦の関係が存在しない。
ある意味で、横の関係のみで進んでいく。

見えないのに、見えない向こう側を想像しないといけない。
「見えない世界」で生き抜くには、これまで以上の豊かな想像力が求められる。
しかし、想像力は衰える一方。

映像でなにもかもが与えられてしまう。
だから、自分なりの「像」を描く必要がない。
想像力は、衰えるしかない。

衰えていくのだから、これまで以上に想像力を伸ばすことを大切にしなければならない。


自分のなかにきちんとした「像」を描く力。
それが誰から見ても正しいと思える「像」であること。

これが新しい時代の新しいモラルというべきものだと信じている。