情報処理室からメディアセンターへ。

2013年4月から、情報処理室はなくなりました。
新しくメディアセンターになりました。
現状で変わったのは、名称だけ。
そこに参加するメンバーは変わりましたが・・・。

これまで進めてきた他教科とのコラボレーション。
これは教科と教科のコラボレーションであって、内容を指してはいない。

内容は、既存の教科学習。
そこに、情報科な日々がお手伝い。
それをコラボレーションと呼んできた。


そこには、違和感を感じていた。
情報科な日々があるから、コラボレーションになるだけ。
本当は、既存の教科をコンピュータ室で進めて来たにすぎない。


さて、どっちが本筋か。


コラボレーションよりも、既存の教科学習が優先される。
この発想も、既存の教科学習、が前提になっていることに注意を要する。

既存の教科も作られたもの。

生活科が新しく生まれた記憶も薄れつつある。
情報科だって生まれたのは、2001年。

情報科な日々は、いつか消える。


情報科な日々が生まれた時の校長の発言。
情報科が情報科としてあることが、未熟な証拠だという根拠。


情報を学ぶ。


実は、人は情報からしか学べない。
あらゆるものが、「情報」というと柔軟な言葉に包含されると言った方がわかりやすいかもしれない。

だから、人は情報からしか学べない。

外部から得た情報を、自己内情報としてどのように蓄積するか。

それこそが、学びと呼ばれるもの本性。
体験だって同じ。
外部刺激それが情報として伝達されなければ、体験することはできない。

したがって、人は情報から学ぶことを必然としている。


そう考えると教科としての「情報」の存在意義が、問われなければならない。
コラボレーションを進めれば進めるほど、この問いに苦しむことになる。

自分自身で自分の居場所に疑問を投げかける結果となった。


コラボレーションは、協働。
共同でもいいかなぁ。
どちらにしても、一緒にやること。

もしこれまでのコラボレーションが、本来の姿であったら?


情報科な日々が始めたコラボレーション以前のあり方が、間違っていたことにはならないだろうか。
教科という枠組みを基準にするしか方法がなかったのだから、仕方が無い。


教科という既存の枠組みを、極力、取り払う。
そのことで新しく見えてくるもの。


学校に対する本質的な問いかけ。
メディアセンターで始まります。


やっとここまで来ました。