2012年2月17日、3年生の特別な情報科な日々が行われました。
3年生の情報科な日々は、2学期の12月でお終い。
今日は諸般の事情で、1クラスだけの特別な情報科な日々の復活。
4年生の家庭科と情報科な日々のコラボレーションで進めている「食育カルタ」。
そこで大きな課題となっている「絵を描く」について、試験的な内容で進むことにしました。
3年生は、あと2ヶ月もしないうちに4年生。
このままなにも代わらなければ、もうすぐ「食育カルタ」という課題に取り組むことになります。
その準備と、文字からイメージへの転換を、3年生でお試し授業を行いました。
たった1時間の貴重な時間。
読み札はこちらが提示。
クラス全員、40人が1つの読み札への絵札を作成します。
選んだ読み札は、たべものだいすきかるたから、この札を選びました。
「たべたいな たいやき たこやき たっぷりと」
「たいやき」と「たこやき」。
子どもたちには、イメージしやすい食べ物でしょう。
そのイメージを絵にすることも、決して難しくはないと考えました。
ハードルは、「たべたいな」「たっぷりと」の2つの言葉。
これを、どうやって絵として表現するかを考えなければなりません。
そのことに気付くことができるか?
説明は、「想像力を膨らませて、絵札を書く」というもの。
説明が多くなれば、こちらが期待した絵を描いてくれるでしょう。
説明が細かければ細かいほど、こちらの意図した絵を子どもたちは、描けるようになるでしょう。
これでは、子どもたちの能力を引き出すよりも、形の整った作品を、という教員側の要請が強く出た授業になってしまいます。
「想像力を膨らませて、絵札を書く」という説明だけで、なにをどう考えれば良いかや、想像力を膨らませるということを子どもたち自身が考えなければならないのです。
そうすることではじめて、子どもたち自身が「テキストをイメージ化する」ための方法を身につけることができるようになるのです。
与えられるのでは、ダメなのです。
自分自身が考える、が生まれてこないのです。
やらされる、ではなく、自分からやる、でなければ意味がないのです。
「たいやき」と「たこやき」という物質表現と、「たべたいな」「たっぷりと」の心的表現の2つの存在を読み解けるかどうか。
物としての「たいやき」と「たこやき」。
感情としての「たべたいな」「たっぷりと」。
これらの2つの違いに、明確な認識が至るかどうか。
物としての「たいやき」と「たこやき」は、目に見える。
だから、形象として描くことができる。
それに対して、心的表現の「たべたいな」「たっぷりと」は、描くことができない。
描くことができない心的表現に、気付き、それをどう描くかが課題になるのです。
「たべたいな たいやき たこやき たっぷりと」という短い文の中に、2つの別個の要素が含まれていることを読み解く必要があります。
それをイメージとして、頭の中に描かなければならないのです。
身体表現として、実際に活動してみても良いでしょう。
「たべたいな」は、どういう表現になるかを、自分のこととして考えるのです。
自分が「たべたいな」と思った時にどうするか、を考えるのです。
「たべたいな」という時の表現方法は、子どもたちひとりひとりが違うはず。
自分なら「たべたいな」を言葉ではなく、どうやって伝えるかを考えるのです。
それを頭に思い浮かべる。
これがイメージ化なのです。
「たっぷりと」も同じ。
人によって「たっぷりと」は違うはず。
「たいやき」と「たこやき」が嫌いな人に取っては、たった1つでも「たっぷりと」になる可能性があります。
反対に、この2つが好きな人にとっては、どんなに食べても「たっぷりと」にはあたらない可能性があります。
自分なら、どんな時に「たっぷりと」を感じるか。
その気持ちを大切にして、言葉ではない伝達方法を考えるのです。
それを頭に思い浮かべる。
これがイメージ化なのです。
物質ではない心的表現を、言葉ではなく伝達する。
そのためには、自分に照らしあわせて、自分なりの表現を想像することが必要になるのです。
それは、ひとりひとりが違って良いのです。
同じでなければならない理由は、どこにもないのです。
だから、それぞれの子どもたちにそれぞれのイメージが存在するのです。
そのイメージを、具現化することが絵に描くと言うことに過ぎないのです。
頭の中だけにあって、自分以外、誰にも伝えること、知ることのできないイメージから、絵として具現化することで、他者に自分のもつイメージを伝えることが可能になるのです。
これは、文章や文、テキストをどのようにとらえ、理解したかを形にすることを意味しています。
イメージを膨らませることできなければ、絵で描くことはできません。
テキストを自分に照らしあわせて考えることができなければ、イメージとすることはできません。
テキストの意味を、きちんと理解することができなければ、自分の生活実感をもってとらえることなどできません。
テキストをイメージ化することが苦手な子どもたち。
その過程のどこかで、思考が途絶えているのです。
そこを上手につなぐことが、文章の読解、テキストの理解、そしてそれを活用した自由な表現に繋がっていくと考えています。

